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稽古日記

日曜日の稽古。
いかないと言ってはいたが、やはり行くことにした。
寂しがり屋なんだな、自分は。

今の自分の欠点として、右の刻み突きが弱い。
右の逆突きはそこそこ、追い突きも大体OKだが、刻み突き(寸ケイ)が駄目だ。
イメージとして、右の逆突きにある「感覚」を応用すればいいのだが、左の腰に少し違和感があるせいかうまくいかない。昔、H師にも「ひざがドロップしている」といわれたことがある。その癖を直さないと。

膝と膝、ひじとひじ。すべてが集まるように。


一方、霹靂については、感覚が戻った。
腹の感覚だ。これは武道の命である。が、ほかごとを言われるとかなり忘れてしまう。

忘れないようにするためにはどうすればいいか。
ひとつは「駄目ワザ」を覚えておくことかな。
これは駄目、という感覚を知っておけば、よい技を再現することも可能。

だが、ここでまだ欲を言えば、霹靂を決めた瞬間、諸手で寸ケイが決まらないといけない。
霹靂そのものが寸ケイであること。
まだまだ甘い。



稽古後、「後の先」について質問された。
「H先生は気頭を打て、と言われるが、さざなみ君は見えるのか」
「○さんは、手から気が発しているのが見えるようになったとか言っていたが、そういうものが見えるのか」

私は笑って言った。
「いえ、見えません」

私も一時、(気を)見ようとしたことがある。確かに見えたような気がした時期もあった。
しかし、レベルの高い先生、K先生やS館長にはまったく通用しなかった。
そんなもので、ムエタイやらフルコンやら総合格闘技やら柔術やらその他もろもろに勝てるわけがない(笑)。妙な突破口をあけようとしてもネットでもちょっぴり騒ぎになった、某大東流柔術の先生のような無駄な妄想に陥るだけ。

あくまで、自分の間合、自分の感覚が大事。
相手の気なんて、適当に見ておけばいい。


なお「(相手の)気頭を打て」とはいい言葉だが、ちょっと誤解しやすい。
私は「(自分の)気頭を打たせよ」がわかりやすいと思う。

・・・わかりにくい、ですね・・・
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模擬稽古会

小さな子供を相手に、道場の模擬稽古を行った。

やってみると、日曜日の稽古のような感じになった。

細かいところを丹念に丹念に教える。
声は荒げない。技の裏にある、戦うための厳しい心は、いつか伝わるはずだ。

教え方は、昔の私とはずいぶん変わった。フルコン時代の私はあまりにも夢中で何も見えなかったな。

「疲れた?」
「ううん」

ふむ。大丈夫かもしれない。
あとは、私自身が自分の到達点さえ見失わなければ。


来週からK先生の道場に行かせて、アリーナで稽古を始めようかな。

バーチャル道場(笑)

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。


昨年末に、「柊靖館」発足、などと偉そうなことをほざいてはみたものの、どのように、誰に何を教えるか、そういうところが決まっていないわけで。
つまりはバーチャル道場(笑)。

もともと、組織ぶったものは得意ではないです。
が、どういうわけか「やらないといけない」ような気がしているので、イメージだけはこさえてみます。
バーチャル道場として、思い切って空想の世界に遊んでみます。新年ですから。


まずは、挨拶、黙想。

基本稽古は追い突きから。
立ち足だけは口酸っぱく、繰り返しなんども説明しながら。
続いて逆突き。刻み突き。

そのあと、蹴りの稽古。初心者は特に、かっ飛ばすくらいに蹴りを稽古したほうがいい。
1000本も蹴る必要もないけど(やってもいいけど)、フルコン諸流派や一部の伝統派スキンタッチルールの空手くらいの動きは、黒帯になるまでに仕上げてあげられたらと思う。


型は、形よりも流れをイメージして。
たとえば平安初段を稽古するのであっても、「足音を立てない」などのテーマを決めてあげる。
1、2回繰り返せば少し変わる。
そしたら次は「呼吸を落として」とか、「力を抜いて」とか、その回ごとに調律のテーマを与える。

そう、型は「調律」が大事なんだ。私は、H師からそうやって教わった。


約束組手は「受ける」ことを教えない。受けはそのまま攻撃、攻撃はそのまま受け。相手にまっすぐ入る。
空手の「受け技」をそのまま実践に使ったら、まず勝目がない。これを使うには体を入れることが肝心。


いやあ・・・みっちりだなあ。
基本、型はともかく、組手までを初心者に教えるのは難しいかな。


稽古後は黙想、道場訓、礼。
黙想では、今日の稽古の反省を行う。反省とは、悪かった点を責めるのではなく「自分の失敗を冷静に素直に認めてあげる」こと。この「反省」を行うだけでも、次へのステップアップが見込めます。何、空手ですもん、失敗と反省を10年くらい続けても十分(笑)。むろん、反省が深い人のほうが早く伸びます。でも、武道は身体の改善とともに少しづつ変化していけばいいんです。肝心なのは「変化」であって、守ったりとどまったり、ましてや「枯れる」ことではないです。もっと言うと、年齢を重ねたことを動けない理由にしないこと。


これが「柊靖館」の稽古イメージ。
こうしてみれば造作もないか。
案外、書くと成立するものですから、そのうちに何か始まるでしょう。

明けまして

師から年賀状がきた。

伸筋の突き抜く力
天高し

いやはや。ますます意気軒昂。元気で良かった。


私はというと、

花も実も萌葉も落とす冬木立
空身つらぬく風を聴き立つ

と書いて送った。


正月そうそう、寒々しい。まあ、私はこんなもんだ。


今年は型をマスターしよう。やはり、型の習熟が弱いとよろしくない。
それと、本年前半までに、突きを完成させよう。できるかわかんないけどたぶんできる(笑)。人間、一つくらい完成されたものがあってもいいじゃないか。

さて。
明日はちょっと遅れた初日の出を見に行くか。
日の出など毎日あるから、年初めてみたときのものがその人のための初日の出だと私は思う。

とまあ、ぐうたらな正月のさざなみです。
今年もよろしくお願いいたします。


今年は都内で稽古会ができればいいですね。まずは企画して見ます。

稽古納め

日曜日。

行くかどうか迷ったが、今年最後の稽古ということで、行くことにした。
もしかしたら、T先生が来るかもしれない。
まだまだ誰かに頼っている、心の弱さ。

果たしてT先生は来てくれた。
よかった。

稽古ではH師の伝えた練体訓練が如何に重要なのかいまもって再確認できた。

呼吸、立禅、リング。寒い日だったが、これらの鍛練で手のひらが十分に温かくなった。

「追い突きから刻み突き」

ここで修正が入る。
「追い突きの拳は、手のひらを返さない」まず裏拳で打ち、そこから、拳を返す。寸ケイだ。
寸ケイの完成を目指して、ここまで苦労してきた。来てみれば当たり前のことだがいまもってこういうアドバイスが欲しいのだ。

我らの空手は、足腰の反圧を使う。反圧とはブレーキであり、ここが破壊力の大半を担うが、拳の返しはその力の打点の集中を担う。ここが寸ケイの完成点である。

ポイントは両すねの角度。反圧は両すねを伝ってくるから、すねは相手の中心を狙っていなくてはならない。
サンチンや半月では膝を絞るが、あれは反圧を集める意味があると思う。

この力の集中点の延長上に、ひじから先の拳がのる。その力を逃さないための工夫が、当たる寸前で拳を返す動きである。まあまあできているが、形で覚えている状態ではまだまだだ。


とにもかくにも、一年間なんとか成長したか。なんとも言えないが、少しは前に進んでいるかと思う。
来年も宜しくお願いします。


柊靖館 さざなみ
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